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#02 なぜ「ワークショップ」なのか

企画者レポート(全9回)

そもそも「ワークショップ」というものになぜ興味をもったのか。

遡ること約5年前の2016年3月。私は「音楽がヒラク未来~明日のワークショップを考える~」というフォーラムに参加した。そこで,青山学院大学の苅宿俊文教授の基調講演を聞いた。苅宿教授は,教育工学の立場からワークショップに代表される協働的な学習を実践的に研究する第一人者の一人である。講演の内容は,教育現場における音楽ワークショップの可能性についてであったが,そこで私は強く揺さぶられることになる。

「自分の当たり前と違う当たり前の相手がいる」

「音楽ワークショップの可能性」について身構えていたところ,思いも寄らないワードが飛んできた。聞いた瞬間に鋭さをもって喉元に突きつけられるのを感じ,ドキッとした。

他人は自分とは違う人間である。

この一見当たり前に聞こえる言葉の意味を,ゴリゴリに凝り固まった思考で納得させるにはそれなりの時間を要した。「なぜ,音楽ワークショップの話で,こんなに変な汗をかかなきゃならないんだ?」とドキドキしつつ,話は本題へと進んだ。

 

文部科学省が掲げる育成すべき資質・能力として、<自立した人格を持つ人間として、他者と協働しながら、新しい価値を創造する力(「主体性・自立性に関わる力」、「対人関係能力」、「課題解決力」など)>が挙げられている。これらを伸ばすために音楽やアートの力が発揮されるのではないか,と。

特に「聴くこと」に焦点をあて,

  • 聴く→「楽しむ」ことによって無意識を意識化させることができる→音楽は気付きのデザインを生み出すことができる
  • 「楽しむ―気付く」ことを繰り返すことによって、次のステージ「味わう=考える」ことができるようになる→考える=俯瞰して理解する・自分なりに見立てることができる→これらに必要な想像力を育むことができるのが音楽の特権だといえる
  • 「待つこと≒聴くこと」⇔「聴くことを楽しむ=待つことを楽しむ」→聴きあう関係が生まれる→聴くという資質能力を育むことが必要→音楽ワークショップの活用が期待される

と述べられた。

私は「自分なりの見立て」という表現に強く惹かれ,ドキドキがワクワクに変わった。

苅宿教授は,その人からしか出てこない見立てや意見などを代替不可能性と説明し,私はその「他人と自分は違う」という出発点を意識することで,他者の意見を尊重しあえる関係性が生まれ,協働へとつながる,と理解した。

また「ワークショップにこうすれば上手くいく、解決するという方法は確立されていない」という言葉に,またもや大きく揺さぶられた。そして,この揺さぶりはすぐには治らなかった。

3ヶ月治らなかったらワークショップを学ぶために大学院を受験しよう,と決意していた。

ちなみに,この揺さぶりは大学院を修了した今も続いている。

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