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#08 多様な参加者と多様な反応

企画者レポート(全8回)

このワークショップに集まった参加者は,こちらの呼びかけに答えてくれた知人も含まれているが,実際に何をするかは最後まで明かさなかった。チラシやウェブサイトに表記したイベントの説明も意図的に曖昧に表現した。

何をするのかわからないが,何だか興味ある,という人が集まってくれたように思う。しかし,その「何か」に対する身構え度は,参加者によって振り幅があったようだ。

会場に入った瞬間から違和感を感じる人,ワークショップといいつつ,コンサートの客席に座らせられたことに「何かが起こる」と感じた人。作曲家とスタッフの演技をすっかり信じてしまった人(本当にごめんなさい),途中から企画者の意図に気づき,客として役割を全うしようとした人などなど。中には,本当に信じてしまって,こちらの呼びかけ前に率先して我々を助けようと動いてくれる方もいた(本当に本当にごめんなさい)。

話を聞く限り,同じ体験の中でも,このようなグラデーションを生み出し,体験に対する様々な「自分なりの見立て」を引き出せたように思う。それは,楽器選びに関しても同じだった。

「メジャーを手にして・・・・」

「演奏していただけませんか?」と言われて,演奏するまで時間は残されていない。

演奏者として覚悟を決めた参加者は,用意された道具の中から咄嗟に選び,奏者椅子に着席する。この場合,楽器を持たないという選択も考えられるが,声を出すことが憚られる状況などから,全員がなんらかの楽器(道具)を手にしていた。

おそらくその時に興味をひかれたものを手にしたのだと思うのだが,やってみて自分の思うように音が鳴らなかったり,そもそも使い方がわからなかったり…….。メジャーを手にした参加者は,とまどいながらも指揮者の動きに合わせて金属の面を震わせたり,引こっめたりしながら音を出していた(実は,メジャーは最初から用意したものではなく,鐘ケ江が設営時にTOKASのスタッフから借りたものをそのまま置き忘れていたものだった)。

このメジャーは,こちらの予想を超えて人気があった。明らかに音が出ると分かっているものよりも,手にした時にどうなるかわらないというチャレンジ精神をくすぐられる一品であったかもしれない。

「私が出したい音はこんな音じゃない!」

ワークショップのデザインとして,あれこれと考える暇もなく,音を出すということに没頭し,やりながら試行錯誤を繰り返すというものであり,「こういうふうにしてください」「こうすると良いですよ」など,お手本やアドバイスを与えることは一切しない。

それにも関わらず,省察では指揮者が求めている音に対して自分の納得のいく音を出そうと必死だった,という声があった。このような短時間で強烈な「自分なりの見立て」が組み上がる人がいる一方で,指揮者に何を求められているがわからないので,協調性のなさをあらためて感じたとか,想像してた以上に楽しんでいる自分がいた,とか,日常では気に留めていなかった自分自身の特性に改めて気づいた,という感想もあった。

その他では,自分は経営者であるが,人をまとめるということがどういうことなのか考えさせられた,と,体験を自分の立場や経験に落とし込む人など,自分の興味関心につなげて全員が発言してくださったことが,ディスカッションにも幅を広げ,皆興味深く耳を傾けていたのが印象的だった。

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